打首獄門同好会を知ったきっかけ、または産後うつが音楽に救われた話
※鬱の話が出てきますので、お辛い方はそっ閉じ推奨です。
打首獄門同好会というバンドを知ってから昨日で丸3年になりました。知ったきっかけを全部覚えてるので記念に書いてみます!
まぁ全然需要ない話だと思うんですけども、自分のブログなんて自分以外には需要がないっつーのは自明の事だしそんなもんだ!だから書く!
打首さんを知ったきっかけは、Twitterのとある政党アカウントからです。
うん、なんだそれ。打首さんを知るのってフェスとか対バンとかが大多数だと思う。政党アカウントなんてところから入る人絶対私以外にいない(断言)。
あ、あれじゃないです、総理に表敬訪問。それよりだいぶ前の話です。
私はミーハー的に選挙が大好きで、選挙速報の時はわくわくオールフリーとつまみを用意して待機するタイプなんですね。ちょうど3年前にとある政党のTwitterが話題になったのをきっかけに、与党も野党もいろいろフォローしてみたわけです。そしたらとある政党の中の人が「今朝は布団の中から出たくなかったです」ってつぶやきまして、どなたかが「こんな歌がありますよ」ってリプして、それにくっついていたのがそう「布団の中から出たくない」。
なんだコレはー!かわいいおもしろい泣ける!と思ってYouTubeで他の曲も聴いてみまして、ズドンと刺さったのが「88」でした。
「88」は衝撃だった。いや衝撃でしょ衝撃。なんだこの歌詞は、なんだこの音は!
寺の名前を羅列するっていう前代未聞の歌詞。意味がわからない。なのになぜかロックな気がしてならない。むしろこれこそがロックなのではないか。そして音が‥!むちゃくちゃかっこいい‥!
水曜どうでしょうは全然通ってなかった(九州人はどうでしょうに疎い)ので元ネタがわからなかったのも良かったんだと思う。そこからお遍路ドキュメントを見、10獄放送局を見、どうでしょうも・・・とズブズブハマっていくわけです。
ところでそのころ私は鬱のどん底にいまして。
いや、うん、今は大丈夫になってるんで、ちょっとお付き合いくださいね!
話は10年前にさかのぼります。 初めての子を妊娠中、その頃フリーランスで働いていました。産前もギリギリまで働くぞ、産後もすぐ復帰してキャリアを積むぞと鼻息荒くがんばりましたが、妊娠8ヶ月の時妊婦であるということを理由に契約を解除されました。
その時に感じた、自分の両手から今まで積み重ねてきたもの全てが飛んでいってしまうような絶望感は今でもよく覚えています。「産後落ち着いたらまたお願いしますから~」という相手の声が、早く電話を切りたくてたまらない感じだったのもよく覚えてる。もちろんその後お願いされることはなかったよね。
話が暗くなってきましたね。
あれ、私なんかおかしいな?と思ったのが、初めての子どもが生まれ、隣にすやすや眠っている赤ちゃんを眺めながら涙がとまらなくなった時でした。
この子の身にはこれから悪いことばかり起こってしまう、どうしようどうしよう、病気になったら、事件や事故に巻き込まれたら。大きくなったら学校でいじめられるかも。悪い人にだまされて殺されたり、いや、この子が人を殺してしまうかもしれない。私は責任が取れるだろうか。 どうして産んでしまったんだ、なんて恐ろしい世界に連れてきてしまったんだ・・・。
実家の暗い和室のお布団の上でありとあらゆる不幸が浮かんで、泣きたくないのに涙がだらだら流れて、それ以外のことがまったく考えられなくなりました。明らかにおかしい。今思えば、すぐにオットでも母でも保健師さんでも相談しとけば良かったんだと思う。誰かに言えばよかった。でも誰にも言えなかった。
それから赤子と大量の育児グッズと鬱々とした気分と一緒に自宅に戻って育児スタートするわけですが、まぁ、赤子は母親の気分なんぞ待ってはくれない。泣く→おむつ替え→授乳→寝る→20分後に泣く、の無限ループが夜中まで続く。
産後すぐの母親は寝られないと聞いていたので、夜に全然寝られなくて当たり前だと思ってしまったのも間違いでした。オットに押しつけて寝るべきだった。細切れに寝ているから大丈夫、と思っていたけどあれは今思えば気絶だね気絶。そしてまた赤子の泣き声で起こされる。
いつの間にか寝られないのが当たり前になりました。
そして家事育児はどうにかこなしたものの、仕事をしていないことにめちゃくちゃ引け目を感じていました。自分の収入がないのはつらかった。幸いにもオットの収入で暮らしていける環境でしたが、収入がないのに自分はここにいていいのかとぐらぐらしました。
元の仕事に戻れそうにない、かと言って小さい子を抱えてメンタルも安定しない中で新しい仕事に飛びこむ勇気がない。 そう考えてしまって、「働いてなくても許される状況」を作りたいために数人子どもを産みました。
まじで自分の思考がやばすぎてつらい・・・虐待にもつながりかねない。子どもがすくすく育ってくれているのが救いですね。同時期にボランティアとか子育てサークルにのめり込んでしまったのも、遊んでるんじゃないとアピールしたかったんだと思います。ママ友がいい人ばっかりで良かった。
子どもが増えたらますます寝られなくなり、さらに寝ようとしても眠れず、まとまって3時間寝られたら嬉しいという。
さらにその頃、弟がアルコール依存症になりました。
・・・暗いねごめんよ!うん、大変だったよ!あるあるでしょうけど、親の理解が全くなく病院にも連れて行かず。「甘えてるんだ」「やめようと思ったらやめられる」で済ませようとする親の代わりにあれこれやっていました。それが良くなかったことを後で知ることになるのですが。
弟が運転中に気を失って事故を起こしてからはもう気が気じゃなくなり、電話が鳴るたびに冷や汗と動悸がする。特に朝の電話は嫌でしたね。夜中に死んじゃったんじゃないか、警察からだったらどうしよう、と思って。
そうしているうちに大好きな読書ができなくなりました。時間がない、という意味ではなく文字が読めない。1行を3回ぐらい読まないと内容が頭に入ってこない。おもしろくないから読みたくない。
音楽もうるさいと思うようになりました。音楽は大好きで、結婚前は一日中音楽を聴く職場だったし地元のライブハウスもよく行っていました。でも全然聴く気がしない。テレビもつらくて子どもとEテレばかり。
どうしても4日間お風呂に入れなくて清水の舞台からダイブする気持ちで入ったり、夕食を作ろうとすると体が全く動かず、泣きながらオットに電話したりしていたのもこの頃ですね。
これらの症状はうつあるあるですがちっとも気づかなかった。そのうち希死念慮がやってきました。死にたい、ってやつです。
いやぁどん底に暗い話で申し訳ない。
どうにも出口が見えない日々でした。
で、そんなときに出会ったのが打首獄門同好会だったわけです。ハイやっとつながりましたねー!
それまでどんな曲も1曲を聴き通すことができなかったのに、打首さんの曲は心底楽しく聴けた。何回でも聴けた。
たぶん、なーんにも考えなくても聴けたのが良かったんですよね。愛だの恋だの鳥になって羽ばたきたいだの言い出さないのもよかった。ただ聴いて、楽しくなって、クスクス笑っていればいい。
ラウドな音も、大変好みでした。重く響くかっこいい音だけに集中していれば嫌なことを考えないと気づきました。
音楽依存症生活。
思えばずっとぐるぐる考え事をしていたのだなぁ。ぐるぐるぐるぐる、休まる時間がない。寝転んでいても休まるのは体だけで、脳はフル回転で嫌なことばかり考えていて。それを断ち切ってくれたのが打首さんの音楽でした。
・・・なんだこいつすげぇ重いファンだなと引き気味な人、正解です。
それから、しばらく感じなかった「欲」が出てきてライブに行きたいと思うようになりました。一進一退ありながらもだいぶ落ち着き、次の夏に初めてライブ遠征に行けた時は嬉しかった!筋肉少女帯との「ついに対バン祭」。
もう楽しすぎて笑いすぎて、お腹の底から笑ったのは久しぶりで、私はまだ楽しめる、これからいっぱい楽しいことがあるって思えました。
3年たった今は弟もお酒をやめ続けているし、私の希死念慮もなくなりましたね。たまーにふいっとやってくる時もあるけどね。
というのが私と打首さんの出会いです。なんてありがたい出会いだったことか!政党アカウントの中の人に感謝しなくては。
もはやライフラインなので、毎日聴くと思います。日々のごはん的な、なくてはならない存在。
私が打首さんから貰ったものは一生かけてもお返しできないと思うけど、ずっと応援していくことで少しでも返せたらいいな、なんて思っています。